連載 デジタルとアナログをブレンドする学び第2回
20分の動画を1分で見終える高校生を、私は叱らなかった
2020年12月に出した本を、六年後の自分が読み返す。序章で私は、動画授業をスキップする高校生を悪いとは思わないと書いた。それはいまも変わらない。だが、そのあとに書いたことは外れていた。
2020年12月に、ワニプラスから『オンライン学習の活用術』という本を出した。一斉休校の春から半年ほど経ったごろだ。
六年経った。読み返すと、当たっているところと、はっきり外れているところがある。連載として、章を追いながら書いていくことにした。
二十分の動画を、一分で
序章に、こんな場面を書いている。
週末の学習会に、ノートパソコンを持ってきた高校生がいた。学校指定の動画授業を見たいというので、いいよと返事をした。
彼は動画を数十秒再生したら、あとはすっとばして、最後の数十秒までスキップ。二〇分の動画授業をわずか一分くらいで「見たことにできてしまう」。
ほかの生徒は「チートじゃん」と言っていた。だが聞けば、彼らも同じことをしているという。
そして私は、こう書いた。
しかし、僕はこれが悪いことだとは思いません。むしろここに自宅でオンライン学習を活用するヒントが隠されています。
当時、学校も塾も止まっていた。とにかく子どもたちは家にいた。そこへ動画授業が一気に流れ込んできて、大人は「ちゃんと見ているか」を見張りはじめた。
見張る側に回ることに、私は反対したかった。カリキュラムどおりにやる必要がないところが、オンラインのいちばん良いところだと思っていたからだ。
ここは、いまも変わらない。 わかっているところを飛ばすのは、サボりではなくて判断だ。教室ではできないことが、画面の前ではできる。
外れていたのは、そのあとだ
問題は、同じ序章のもう少し先に書いたことのほうだった。
「なんとしてもわかりたい!」という切実な気持ちがまず子供にある。それを便利に解決する道具がオンライン学習ということです。
この一文を、私は前提として書いていた。切実な気持ちは、もう子どもの側にあるものだと思っていた。
実際には、そこが一番空いていた。
道具だけは、この六年で一通り揃った。端末も配られた。動画もアプリも数えきれないほどある。だが、自由に学べる環境を渡されて、自由に学びはじめた子は、私が見てきた限りでは多くなかった。
多かったのは、止まる子だ。
何でもできる。だから、何をすればいいのかわからない。これは子どもだけの話ではないだろう。大人だって同じだ。
あの高校生がスキップできたのは、彼に「これはもうわかっている」という判断があったからだ。判断するための地図を持っていない子に、同じことはできない。 同じスキップをしても、それはただの飛ばしになる。
六年前の私は、その差を書き落としていた。
いまなら、先に設計図をつくると書く
だからいま、入会した家庭には、まず三者面談をしている。親と先生の二者ではなく、子ども本人を入れた三人でだ。
そこでやるのは、教材の選定ではない。これからどう学んでいくかの「設計図」を、みんなで共有する。
ときには、食べ物の提案をする。勉強机の大きさや位置。鉛筆の握り方や、線の書き方。思春期の子なら、デバイスとの距離の取り方や、PCの設定や購入の相談にも乗る。
これを含めて、私は自分の仕事を教育コンサルタントと呼んでいる。
六年前の本には、この工程がない。いきなり道具の話から始まっている。当時は、道具を手に入れること自体が難しかったので、そこを書くのが役に立つと思っていた。それ自体は間違っていないと思う。
だが、道具が揃ってしまったいま、残っているのは地図のほうだった。
子どもに聞いてみてほしい
もし家で動画授業やタブレット教材を使っているなら、一度聞いてみてほしい。
この先の一本を、どうして選んだのか。
答えられなくても少しも問題はない。答えられないのが普通だ。 ゆっくりやるしかないところだと思っている。
次回は、同じ序章に書いた「教育は火起こし」の話をする。こちらは、いまでもそのまま使っている。
この記事で触れた教材
音読・暗算・漢字・計算の動画とプリントがあります。まず試してから決められます。